リビングに出て行きたくなくて次の日もそのまま眠り続けた。
「自分のいた世界」での不眠もたたり恐ろしいぐらい眠れる。
寝て忘れたい。
寝たら戻っているかもしれない。
そう思いながら無理やり目を閉じ、
意識を失い、そして再び覚醒してみても
景色は変わらず、深夜に追いやられた部屋の中だ。
たまに扉をちらりと見るがその向こう側は人気がなく
扉がひらくことはないだろう。
まどろんでいるうちに窓の外から西日が差してきた。
そういう部分は、自分のいた世界と何も変わらない。
いよいよ頭痛がしてきたのでもう眠るのは無理だろう。
最後に自分がいた世界のことをぼんやり思い出そうとすると
さらに頭痛がひどくなった。
考えてみたら昨夜から水分をとっていない。それも頭痛の原因だろう。
そう思うと急にのどが渇いてきた。人がいないのなら好都合だ。
ずるずるとベットから抜け出し昨日とは逆に思いっきり音を立てながらドアノブを捻った。
人はいない。
少しほっとしてリビングにつながる廊下に出て台所へ直行する。
適当なグラスを選び蛇口をひねる。
寝起きの口元のゆるさに少し水が脱線し喉の内側も外側も潤った。
一気に飲み干す。
はぁー
ようやく思考回路がめぐり始めた。
もう一杯注ぎグラスを持ちながらリビングを徘徊する。
昨日のソファを避けて。
ベランダへ続く窓際に立って景色を眺めても、なるほど確かに空にはハエの様な粒の飛行機しか飛んでいない。自分が乗っていたような、そんな乗り物は飛びかっていな。
するとガチャガチャと背後から音が聞こえる。
咄嗟に身構えると、部屋に戻るのには間に合わず
「あー、」
という声と共に坂本が帰ってきた。
「あれ?えっと万斉君!お目覚めかえ?ぐっすり寝むっとったのうー」
「…」
「あー、昨日はすまんかったのう…ちくっと飲み過ぎてしもうて…そうじゃ、コートなんじゃがの、クリーニングから受け取ってきたぜよ、ほんにすまんかった!」
目の前にビニールかけられたコートを広げられる。
「あぁ、お手数をおかけした」
ちょっとほっとした。
自分自身のアイデンティティを受けとったような、そんな気分だ。
ビニルをガサガサとめくり上げもう着替えてしまおうと思った。
借りていたTシャツをポンと脱いでさっそくコートに袖を通そうとするが、
クリーニング上がり直後の衣類は購入直後のように
すべてボタンやらファスナーやらが留められている。
Tシャツを脱いでからそのこと気付いた。
そそくさとファスナーを開け袖を通すとずいぶん気分が落ち着いた。
ふぅと一息ついたときに、その一部始終をじっと見つめている視線に気が付く。
「何か」
「んにゃぁ。万斉君と河上君は本当に瓜二つじゃなぁと思うて。体つきまで…いや何でもない」
「こちらも驚いている。そして拙者のいた世界でも坂本殿と瓜二つの人物が存在するでござる」
「ほぉ…わしみたいないい男がもう一人!そりゃ聞き捨てならん」
「そういうすぐ調子に乗るところも同じでござるよ」
「そちらの世界での…万斉君とわしはどんな関係じゃ?」
「どんな関係もなにも…取引相手と言ったところか…」
「ほぉ…そうかぇ…。ビジネスパートナーじゃな!」
「(パートナーまではいかぬが面倒くさい…)まぁ…そんなところだ」
「そうじゃ!腹へっておらんか?簡単にだけど夕飯つくるぜよ」
というとこちらの返答も聞かぬままずかずかと台所へ戻っていった。
昨日座っていたテーブルの上にビニル袋が形を徐々に崩しながら放置されていた。
鼻歌を歌いながらビニルの中身を次々と冷蔵庫へ投入している。
(取引相手…)
嘘は言っていない。取引相手は取引相手だ。
だがしかしまれにちょっかいを出される事がある。
坂本の見た目の軽さを馬鹿にするとものすごい馬鹿力を発揮する。
その馬鹿力に…なんどか押し倒され性交してしまったことがある。
流されるがまま切り捨てる事もできずに関係をもっている。
しかし元からそう言った事に対する背徳感、罪悪感が脆弱なのも自覚している。
己にとって一つの交渉方法でもあるのだ。
怖いのは坂本の性欲の着火点が読めない事だ。
己があの男が苦手なのはそこなのだろうと思っている。
ぼんやりとそんな事を考えていたら例のソファの上に腰掛けていたことに気がついて
ゾっと悪寒が走り立ち上がった。