Nosebleed



 

 

 

繁華街で飲んだくれたヤンキーにからまれて

買ったばかりのホルベインの油絵の具のチューブが引きちぎられた。

 

その行為を境に理性が飛び、返り打ちにし、絵具代をぶんだくった。

 

その場にひょっこり現れた若造になつかれた。おじさん、強いねーと満面の笑みで。

その場で指相撲を挑まれて「勝ったらメシおごってね!今俺ハラペコなんだ~」

と笑っている。

一見華奢そうな体をしてなんてことを言い出すんだ身の程知らずが

悪ふざけに付き合って指相撲をしたら

親指が根っこから引きちぎられるのではないか、という力であっさり負けた。

なんだこいつと思っている合間に薄汚い餃子屋に連れていかれて

餃子20皿を奢らされたもうそこまでの展開がテンポ良すぎて

拒否する間もないというかただポカンと口を開けたまま

一部始終を見送った。


ぶんだくった絵具代は餃子代に消えた。

 

聞けば同じ大学の人間だという。

もっとも7浪もして社会人やりながら学費稼いでやっとの思いで油絵科入学した自分とは間逆の、

現役一発合格で彫刻科に入学したエリートとはなにもかも違うが

なぜか憎めないこの青年に不思議な魅力を感じた。

 

数日後、奇抜な人間が揃っているキャンパス内でもひときわ目立つその赤毛は中庭にころがって昼寝をしていた。

顔を覗き込むとパチリと目を開け「やぁ!」とご機嫌な様子で飛び起きた。

 

「本当に同じ大学だったんだな」

「ここは昼寝するにはちょうどいいんだよ」

「今日も誰かに昼飯奢らせたのか?」

「奢らせるだなんて人聞きの悪い。勝負に勝った景品だよ?」

「あんたは強い。負けねぇ勝負を挑めるのもなかなかだな」

「阿伏兎、なんてことを言うんだよー今日はいいもの渡そうと思って持ってきたのに」

 

そう言うと傍らに置いてあったく茶色の紙袋を渡される。

袋をあけると先日めちゃくちゃにされた絵具と同じものがばらばらといくつか入っていた。


「油絵科なんだろう。このまえめちゃくちゃにされてたもんねぇ」

 

「いや、絵具代はちゃんともらったけどあんたの餃子代に消えたよね」

 

「固いこと言うなよーせっかく選んできたのに」

 

「礼はいうぜありがてぇ話だ。おいおいしかもホルベインだけじゃなくレンブラントの赤系まで入ってるじゃねぇか

 

 

高級な絵具を何本か袋の中に見つけてちょっと驚く。

 

 

現役で通過できる人間はほぼいない彫刻科の狭き門をあっさりと通過した人間はどんなデッサンを描くのだろう

と素朴な疑問を抱いた。デッサン見たいのだがと頼むといいよ、とあっさり了解してくれた。

彫刻科の校舎はまた油絵科とは違う雰囲気をまとっている。

歩いている間に彫塑なのか彫刻なのか尋ねたら彫刻だという。

なるほどこれは納得ができる。木工ではなく石膏だろうと予測していたらそれも当たった。

なんか有り余るエネルギーをぶつけるのにこの若者だったら石膏だろうと思ったのだ。

 

研究室に置かれたA2サイズの木炭デッサンの前で息をのむ。

この若者の不思議さ、狂暴さ、才能、すべて一瞬で腑に落ちてしまった。

がっくりと肩を落とす。

 

「消しゴム用に使ってた食パンなんだけどさ、おなかすいたから食べちゃったんだよねー阿伏兎なんか食べ物持ってない?そうだ俺のデッサンも見せたんだから阿伏兎の絵も見せてよ」

 

面倒くさい展開になった。こんな才能を見せ付けられたあとで自分の作品を晒すなんて

しかしもう次元が違いすぎてひとまわりして恥ずかしいという自意識も消え、

研究室にあるだろう菓子をあてにしてして油絵科の棟に移動した。

廊下から既に匂う、深くしみ込んだ油の匂いに顔をしかめている。

自分にとっては落ち着く匂いだ。

 

描きかけの絵がある。


割と悩まするすると描きはじめてそこそこ気に入っているのだが

一か所だけどうも決らない。

こういうのはドツボにハマったら終わりだ。気に入っているのに気にいらないという一番最悪なケースになる。

気に入らないなら気に入らないでいい。何が気に入らないか考えるトレーニングになるからだ。

捨ててしまっても未練はない。

自分が描きかけている絵がその瀬戸際にいるのをわかっている。


花の色が一か所決らない。赤く塗りたいのだがどの赤もしっくりこない。

そこだけぽっかりと空いているのだ。

 

自分の絵を前にして神威がそばにいるのも忘れ眉間にしわを寄せてじっとしていた。

神威は放置してあったスナック菓子を片っ端から平らげている。

その中の一つキャラメルコーンを平らげながらこちらを見ている。

最後のピーナッツを行儀悪くポーンとほうりなげて口に収めた。

 

「赤か俺は普段色のない立体の世界にいるから不思議だな。思うままの赤じゃないの?」

 

 

「なかなかどうして思うままの赤ってうのがないんだよ

 

 

「色の世界っていうの魅力的だね。今度石膏像に着彩というのもいいかもあ、ねぇ阿伏兎殴り合いしよっ!」

 

「はぁああああ????ちょ、お前何言っちゃってんの」

 

 

「なんかこの絵見てたらムラムラしてきてさぁじゃ、俺から一発」

 

「おいちょっとまてなんてこと言いだすんだこのすっとこどっこい!俺が殴られる意味がわからん!」

 

「意味なんてないよ!」

 

どかっ

 

いってぇこいつ本当に殴りやがったしかも顔面をグーで

先日の指相撲で握力や力が見た目よりも長けているのは把握していたが

軽い脳震盪を起こしたら鼻の奥の方がじんわり生温かくなった。

 

生温かさは鼻から液体となって抜けて行く。広がる生臭さ。

鼻血がでたのだ。

 

怒りを通りこしてもうわけがわからない。

そんな顔に向かって神威はそっと手をのばし鼻血をぬぐった。

その血のついたままの指をキャンバスの上になすりつける。

 

キャンバスがぱっと明るくなった。

今まで色を決めかねていたその花が赤くぱっと色づく。

 


「おぉーぴったり。着彩って楽しいね、改めて興味がわいたよ」

 

そう言いながらひらひらと手を振って部屋を出て行った。

 

 

転がっていた筆拭き用のトイレットペーパーで

鼻血をぬぐう。紙にしみた血の色と目の前のキャンバスにのった血の色が全く違って見える。


 

(やかいな天才と知り合いになっちまったもんだなぁ…)

 


 

絵の具まみれの床に転がってそう思った。










 

 

 

 

 

…end


(2011.9.1)



 

 

 

 



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