学校に春が再び訪れる。
生徒は次の世界に踏み出し
先生はその世界に取り残される
見送るしかできないのだ。
そんな季節がまたひたひたと近づいてくる。
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2月の学校は閑散としていて職員室にもゆったりとした空気が表面上は流れている。
しかし電話が鳴り響いた途端、職員が猛ダッシュで受話器を取り上げ、
歓声をあげたり、静かに受け答えをしたりしている。
坂本、坂田、服部の3人は社会科準備室の隅で
灰皿を持ち込み床に座り込んで花札にいそしんでいた。
「はぁ…ようやく落ち着いてきたぜよ」
「坂田先生のとこ意外に進学率いいよね」
「意外にってなにようちの生徒に失礼よ」
「あー、すまん、センター試験日本史で受けた子多くてさよく質問きてたよぉ。チ、なんだよ引きが悪ぃ」
「服部先生は担任もってないから気楽でいいのう…」
「気楽じゃねぇよ。それなりに緊張してるよ」
「いぇー!猪鹿蝶!服部先生、坂本先生、明日の昼飯おごりね!」
「あぁー…」
服部は舌うちし、坂本は元からもさもさの髪の毛をさらにもさもさにするようにかきまぜた。
「俺今月に入ってから坂田先生か坂本先生の昼飯代のばかり出してる気がする…」
「まぁまぁまぁ…」
放り出していた坂本の携帯電話がけたたましく震える。
硬い床面の上で反響してけっこうな騒音だ。
坂本は座り込むときにポケットの中身をすべて床や机に投げ出してから座り込む癖がある。
しかも細々と色んなものを持ち歩いている。
しかしよく取り出したまま放置したり回収し忘れたりするので
落し物や忘れ物が多い。
家の鍵を床に投げ出したまま忘れて帰ってきてしまった、
だから泊めとうせ、と連絡をよこすことが良くあり、
連絡が合った時点でドアの前にいたりする。
あけっぴろげというか良く言えばオープンな坂本はそんな調子なので
携帯電話の着信も誰からの着信なのかたまに表示が見えてしまうことがある。
結構生徒の名字からが多い気がするのだが偶然だろうか。
坂田は所持品が少ない。白衣を着ているせいかそのポケットに入れてはいるが
座ったり室内にいるときは白衣ごと脱いでハンガーにかけたりしている。
だから携帯が鳴る時はいつも壁側から聞こえてくる。
音に気が付いて電話を取る時にはいつもジャストのタイミングで着信が切れる。
そんなことを繰り返している。
胸のポケットにでもいれればとも思うが
その胸のポケットには先客のタバコが入っている。
服部は胸のポケットに携帯を入れている。ジャケットの時もYシャツの時も。
ジャケットの内ポケットには…薬を隠し持っている。
服部がトイレに立つ時はいつもジャケットを羽織っていくのが不思議がられていたが最近になってポケットに入っている薬の存在に気が付かれた。
先日は生徒にいたずらされチョコペンとすり替えられた。
トイレの個室での落胆ぶりは彼らには伝わらないだろう。
子供は時にものすごい残酷な事をする。
床に置いた携帯があんなに動いて傷が付くだろうと思ったが
服部は軽く拾い上げて坂本に投げた。
着信表示は見るつもりなかったが見えてしまった。
「河上」の名前。
坂本が可愛がっている生徒一人だ。
いつも「万斉クーン」とか基本生徒を名前でなれなれしく呼ぶので
携帯に表示された「河上」という名字のみの冷たい響きに
なんとなく坂本の本性のようなものを垣間見る。
坂田はそういう部分を全く気にしないだろうが
服部は小さな部分の感情の機微だとか追ってしまう癖がある。
その場で着信を取り軽い口調で話しだす
「おーぉ!まっことに…うん…めでたいのぅ」
吉報だろう。
「え?今?…今はそうじゃな、下の学年の期末テストのまるつけ手伝っておって…あ、うん…一旦切るぜよ…」
「坂本せんせい、見え透いた嘘は良くないよ…今すぐ行ってあげればいいのに」
「え…あ…うん、ちくっと腹が痛くての…あははははは」
坂本は誤魔化すのが意外に下手だ。完璧にポーカーフェイスなのは坂田だろう。
服部は隠しているつもりもないがわかりにくと言われる。
「坂本先生のお腹の痛いのうつったかも。俺が腹痛い。ちょ、トイレ行くわ」
「服部先生はケツ痛いんじゃないの?」
「ちっげーぇよ今は良好なんだよ!」
言いながら立ち上がり準備室を後にした。
一番近くのトイレまで実は結構ある。
冷えた廊下を歩きながら、もうそろそろ卒業式か、と人気の少ない校庭を見渡す。
トイレから出て再び準備室に戻ろうとした時に
後方から声をかけられた。
「服部先生」
「おぅ!河上か。お疲れ様。いい報告?」
「なんでそれを既に服部先生が知っているので?」
「あっ…いや、なんか坂本先生が喜んで触れまわってたからつい…すまん、自分の口から報告したかったよな」
「一緒に居たんですね」
「えっ、あ、まぁ、ほら職員室だとねぇ…すぐ伝わるじゃん」
「今職員室に寄ったら不在だったので」
あちゃー
すまん坂本墓穴掘った。
「坂本に用事があるなら伝えておくぞ」
「ではお言葉に甘えて。逃げるな、と伝えてください。私は音楽室にいますので」
瞳は良く見えないがい抜かれた気がして。
子供は強い。
時に大人を黙らせる。
子供、というのはすこし言い過ぎか。
準備室に戻った坂本は床に寝ぞべりぼんやりと雑誌を見ていた。
脇腹をつま先でつつく。
「おい、逃げるなだとよww今さっき河上君と会ったぞ。伝言頼まれたから伝えておく。逃げるな、だとよ。」
「…」
「うひょー、怖い。しかしごもっとも。先生が生徒から逃げちゃだめだろ」
「あーっもううるさいのう!わかっちゅう!」
再び頭を掻き毟り床に散らばった所持品をかき集め
立ち上がった。
「いろいろぶつけてもらえばいいだろう。今夜は坂本先生のうちに襲撃しちゃおうかなー」
「ちょ、おまんそれはちょっと」
「せいぜい泣きながらおれんちに来ることが無いよう頑張れや」
「…なんでそんな現実的なこと言うんかの…」
はいはいいってらっしゃーい、とドアの外に放り出した。
先ほどトイレに立った時よりも廊下の温度は
ぐんと冷えている。
おおう。
春はまだ遠いのかね、と思いながら
服部は坂田から珍しくタバコを一本貰って
ゆっくりと煙をくゆらせた。
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3z先生sの他愛もない悩み事。(2011,2,24)
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